2007年07月16日

秋山信友の悲劇とも通じる、パキスタンモスクろう城で大統領が降伏条件を破棄、軍を突入させ、主導者死亡

このニュースを見て、日本の戦国時代、秋山信友の悲劇を思い出しました。
天正3年(1575年)、織田信長が長篠の戦い後、孤立した岩村城を攻めた時、城主の秋山信友は救援の見込みが無いと判断して、信長の提示した和議(助命が約されていた)に応じて開城したものの、直後に信長が和議条件を破棄、信友は夫婦ごと捕らえられて長良川で逆さ磔の極刑に処されたという。また信友配下の将兵も皆殺しにしたそうです。

大統領は、その時の信長と同じくよほど腹に据えかねていたのでしょう。
それでも何とか殺すことなく解決する手段がなかったのか、それが残念です。

(毎日新聞より)
<モスクろう城>「降伏」合意後に軍が突入 大統領側がほご


パキスタンのイスラマバードで起きたモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」ろう城事件で、国内の有力宗教指導者や担当閣僚らとろう城を主導したラシッド・ガジ師(10日に死亡)との間で「降伏条件」がいったん合意されながら、大統領側がほごにし、その後に軍の突入が始まったことがわかった。同モスク前でガジ師と携帯電話で5時間半もの降伏交渉を続けた宗教指導者らは毎日新聞の取材に、「対話で解決できたはずだ」と大統領側の対応に怒りを隠さなかった。
 ガジ師と交渉したのは、同モスクが運営する神学校が所属した「パキスタン神学校連盟」幹部の宗教指導者7人▽ハク宗教問題相▽ドゥラニ情報相▽タリク副情報相▽最大与党のパキスタン・イスラム教徒連盟クアイディアザム派幹部の計11人。
 交渉の参加者によると、7人は突入前日の9日、アジズ首相と面談。最後の説得をモスク前で試みる許可を得た。この交渉にモスクや神学校を管轄するハク宗教問題相らが同行。内部に立ち入る許可は得られなかったが、交渉は9日午後6時、同モスク前で始まった。
 午後11時半すぎまで続いた交渉は、(1)ガジ師を中部ムルタン近郊の実家に軟禁し、そこまでの移動の安全を保障する(2)同モスク傘下の神学校の運営を同連盟に移管する(3)武器をいったん同連盟に引き渡し、同連盟が政府に渡す――ことで双方が合意した。交渉は当初難航したが、閣僚や与党幹部が同席していたことで、ガジ師も軟化していったという。
 この合意内容はすぐに大統領府に「降伏条件案」として提示された。しかし大統領側が約2時間後に出した回答は「全項目の拒否」だった。その上で「身の安全は保障されない」など新たな条件をガジ師に突きつけた。ガジ師は「話が違う」と激怒し、交渉は事実上終わった。強行突入が始まったのは、その2時間後だった。
 一方、大統領は12日夜のテレビ演説で、「過激派の要求は到底受け入れられないものだった」と強調し、暗にこの合意内容を非難した。
 7人のうちの1人、北部ルワルピンディの「ファルキア・モスク」指導者カジ・アブドゥル・ラシッド師は「あの時のガジ師なら投降させることができた。大統領側の回答はわれわれでも受け入れられない不誠実なものだった。交渉に参加した閣僚や与党幹部も顔をつぶされた」と語り、パキスタンの将来に禍根を残す可能性を示唆した。


posted by カミガタ at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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