2007年07月30日

カール・ゴッチさん逝く

今の西村はすごいショックでしょうね。

「新日本」のスタイルに大きな影響を与えた人でしたね。
数年前サムライTVで猪木・坂口vsテーズ・ゴッチのタッグマッチを見て、ゴッチさんのクネクネした動きに「何だコレは」と思ったのを覚えています。
今の西村は「ゴッチスタイル」と言ってますが、音楽で言えばロックの中にクラシックの旋律を単発で入れてるような感じだなぁ、と思います。
「倒立」「弓矢固め」をしていても、スタイルは「今のプロレス」というか。
全体的な組み立てが重要なわけで、今のプロレスは「打撃で逆転」が多すぎる。
90年代初期の新日本が、ショウ的要素を強めながらも、G1では華美な打撃を抑え、理詰めの戦いができていたのも(94年のG1は特に良かった)、ゴッチさんのスタイル・組み立て方が道場の中にまだ残っていたからだと思います。

今のプロレスは打撃が多すぎる。
技のつなぎに、安易にストンピングなど多用しているのはしらける(KENTAみたいに、キックが自分の本分だ、という選手は良い)。
新人なんかそんなのが多いし。
デビューから一年ほどは打撃禁止のルールで、やってほしい。
組み立てとか身につくのでは、と思う。

ゴッチさんのご冥福をお祈りします。
  

(デイリースポーツより)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070730-00000004-dal-fight
「プロレスの神様」ゴッチさん死去

“プロレスの神様”として知られ、新日本、UWF系選手に多大な影響力を及ぼしたカール・ゴッチ(本名カール・イスタズ)さんが28日午後9時45分、フロリダ州タンパで亡くなった。82歳だった。死因は不明。1961年に日本プロレスに初来日し、当時オリジナル技だった原爆固めを日本に初披露。新日本プロレス旗揚げ戦でアントニオ猪木の対戦相手を務め、コーチとして「ゴッチイズム」を藤波辰爾、前田日明らに注入。西村修、鈴木みのるら門下生を次々に輩出し、日本プロレス界を隆盛に導いた。
 ゴッチさんは1924年8月3日、ベルギー出身。48年にドイツ国籍でロンドン五輪レスリング代表になった後、50年にプロレス転向。59年、カール・クラウザーのリングネームで米国へ進出。AWA認定の世界ヘビー級王座などを獲得した。ただ妥協しない非情な戦いぶりなどから挑戦者がいなくなり、米国マットでは不遇だった。
 日本では確固たる地位を築いた。61年5月、日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦に初来日し、芸術的殺人技といわれた原爆固めを日本で初公開。衝撃をもたらした。68年からは日本プロレスのコーチとして日本に長期滞在し、猪木とは原爆固め、卍固めなどを伝授して親交を深め、新日本プロレスの旗揚げ戦に参戦。以後はフロリダ州タンパの「ゴッチ道場」で木戸修、藤原喜明、佐山聡、前田日明ら正統派プロレスラーを数多く育成した。
 その後、UWF、藤原組の顧問となり、ゴッチ門下生は船木誠勝、鈴木みのる、石川雄規らまで続く。無我の名誉顧問に就任したばかりで、毎月のようにタンパを訪問していた西村修は「最後に会ったのは6月7日。いつものように元気で、ワインで5、6時間飲み交わし、精神論や日本のすばらしさを語り合った。6年間親交を持たせていただいて『ウソをついたらいけない。人に対してやったことは必ず自分に返ってくる』という言葉が一番印象的だった」と無念そうに話した。


posted by カミガタ at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。