2007年12月30日

「ビンラディン」が米国非難声明。本当に実在の人物?

どうも疑問なんですが、ビンラディンって実在してるの? もしくは今生存してるの?
アメリカが作り出した幻のような気がするのですが。
アメリカにとって都合の良いタイミングで出てきすぎ。
「米国の狙いはイラクの石油」はその通りでしょうけど。

ウサマ・ビンラディンに関する本


(ロイターより)
ビンラディン容疑者が声明、「米国の狙いはイラクの石油」


アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者は、米国政府がイラクの石油資源を手中に収めようとしていると非難するとともに、米国が進めるイラク統一政府の樹立に反抗するようイラク国民に呼び掛けた。29日に音声テープがインターネット上で配信された。
 同容疑者はまた、イスラエルを国家として容認することは決してないと主張。パレスチナの土地を解放するためのジハード(聖戦)を拡大すると明言した。
 一方、27日に起きたパキスタンの野党指導者ベナジル・ブット元首相の暗殺にアルカイダが関与した可能性を指摘されていることについての言及はなかった。
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2007年07月29日

シュートのスピードアップが重要、サッカー日本代表

いろいろ理由はあろうが、この試合を見て一番感じたのは「シュートの決定力」でしたね。

「シュートの精度」という言葉はよく言われてますが、自分はむしろ「シュートしたボールのスピード」=「破壊力」の強化こそ、決定力不足を補えるものだと思います。

PK戦で韓国の選手の方がキックにスピードがありました(日本のキーパー川口は、方向的には反応できていたのに、スピードがそれを上回った)。
一方日本の選手はPK戦に弱い韓国のキーパーに助けられて入っただけ。
羽生一人を攻めるわけには行きません。

決定力のあるキックが強いストライカーを養成することがこれからの日本の課題と言えるでしょう。

(デイリースポーツより)
大荒れ日韓戦…日本PK負けで4位

サッカーのアジア・カップ第15日は28日、バレンバン(インドネシア)で3位決定戦を行い、日本代表はライバルの韓国代表と対戦、0-0のまま延長PK戦に突入するも、5人で決着がつかず、サドンデスとなったが5-6で敗れ、4位となり次回2011年大会の予選免除の権利を逃した。立ち上がりから白熱した展開で、後半10分すぎには、DF姜敏寿の退場をめぐって韓国のピム監督と洪明甫コーチら3人がバドワウィ主審から退席を命じられ、延長前半には両チームが小競り合いとなる荒れた試合となった。
 FW羽生のシュートが相手GKにはじかれた瞬間、日本の4位が決まった。疲れきった体と、かろうじてつなぎとめた気持ちでは、120分間で勝利をつかめなかった。
 前半からMF遠藤、鈴木、DF加地らがミスを連発した。韓国の激しいマークにも苦しみ、危険なカウンターを受ける場面が目立った。今アジア杯の最後となる試合でPK戦に突入。5人全員が成功させたが、最終的には韓国選手の精神力に屈した。
 転機は後半11分だ。姜敏寿がこの日2度目の警告で退場。これに抗議したピム監督、洪明甫コーチらも退席させられた。だが、韓国側の自滅にもペースは上がらず、後半23分にはFW高原がシュートミス。同28分には途中出場のMF羽生が至近距離からシュートを放つが相手GKの好セーブにも阻まれた。オーストラリア戦と同様、数的優位となった約35分間をふいにした。
 準決勝敗退直後、主力組の疲労とモチベーションの低下を懸念し、先発大量入れ替えを明言した。だが、結果はFW巻をMF山岸に代えるだけにとどまった。「選手はどんな状況でも試合に出たいという。立派です。だが気持ちを満足させるために試合に出していいのか。夜中起きて薬をのみながら考えます」。悩んだ末に出した結論は、闘志衰えぬ主力組の起用。27日のミーティングでは「オレが責任をとる。明日の試合に集中しろ」と伝え、その思いに乗った。だが、AFC側の手配ミスもあっての2日がかりの移動、宿舎の手配ミスなどによる蓄積疲労は予想を超え、宿命のライバルを超えることができなかった。
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2007年07月16日

秋山信友の悲劇とも通じる、パキスタンモスクろう城で大統領が降伏条件を破棄、軍を突入させ、主導者死亡

このニュースを見て、日本の戦国時代、秋山信友の悲劇を思い出しました。
天正3年(1575年)、織田信長が長篠の戦い後、孤立した岩村城を攻めた時、城主の秋山信友は救援の見込みが無いと判断して、信長の提示した和議(助命が約されていた)に応じて開城したものの、直後に信長が和議条件を破棄、信友は夫婦ごと捕らえられて長良川で逆さ磔の極刑に処されたという。また信友配下の将兵も皆殺しにしたそうです。

大統領は、その時の信長と同じくよほど腹に据えかねていたのでしょう。
それでも何とか殺すことなく解決する手段がなかったのか、それが残念です。

(毎日新聞より)
<モスクろう城>「降伏」合意後に軍が突入 大統領側がほご


パキスタンのイスラマバードで起きたモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」ろう城事件で、国内の有力宗教指導者や担当閣僚らとろう城を主導したラシッド・ガジ師(10日に死亡)との間で「降伏条件」がいったん合意されながら、大統領側がほごにし、その後に軍の突入が始まったことがわかった。同モスク前でガジ師と携帯電話で5時間半もの降伏交渉を続けた宗教指導者らは毎日新聞の取材に、「対話で解決できたはずだ」と大統領側の対応に怒りを隠さなかった。
 ガジ師と交渉したのは、同モスクが運営する神学校が所属した「パキスタン神学校連盟」幹部の宗教指導者7人▽ハク宗教問題相▽ドゥラニ情報相▽タリク副情報相▽最大与党のパキスタン・イスラム教徒連盟クアイディアザム派幹部の計11人。
 交渉の参加者によると、7人は突入前日の9日、アジズ首相と面談。最後の説得をモスク前で試みる許可を得た。この交渉にモスクや神学校を管轄するハク宗教問題相らが同行。内部に立ち入る許可は得られなかったが、交渉は9日午後6時、同モスク前で始まった。
 午後11時半すぎまで続いた交渉は、(1)ガジ師を中部ムルタン近郊の実家に軟禁し、そこまでの移動の安全を保障する(2)同モスク傘下の神学校の運営を同連盟に移管する(3)武器をいったん同連盟に引き渡し、同連盟が政府に渡す――ことで双方が合意した。交渉は当初難航したが、閣僚や与党幹部が同席していたことで、ガジ師も軟化していったという。
 この合意内容はすぐに大統領府に「降伏条件案」として提示された。しかし大統領側が約2時間後に出した回答は「全項目の拒否」だった。その上で「身の安全は保障されない」など新たな条件をガジ師に突きつけた。ガジ師は「話が違う」と激怒し、交渉は事実上終わった。強行突入が始まったのは、その2時間後だった。
 一方、大統領は12日夜のテレビ演説で、「過激派の要求は到底受け入れられないものだった」と強調し、暗にこの合意内容を非難した。
 7人のうちの1人、北部ルワルピンディの「ファルキア・モスク」指導者カジ・アブドゥル・ラシッド師は「あの時のガジ師なら投降させることができた。大統領側の回答はわれわれでも受け入れられない不誠実なものだった。交渉に参加した閣僚や与党幹部も顔をつぶされた」と語り、パキスタンの将来に禍根を残す可能性を示唆した。
posted by カミガタ at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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